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『ART OF LIFE』(アート・オブ・ライフ)は、日本のロックバンドX JAPANが1993年8月25日にリリースしたスタジオ・アルバムであり、収録曲のタイトルである。 当初はアルバム『Jealousy』に収録し、2枚組として発表する予定であったが、レコーディング中にYOSHIKIが倒れたことや、ヴォーカル・レコーディングの難航、ソニーの上場問題が絡んだ時間的制約から「ART OF LIFE」の収録は見送られ、後にミニ・アルバムとしてリリースされることになった。そのため、制作を開始してからアルバムが世間に発表されるまでに3年7ヵ月を要した〔コロムビア・ミュージック「X JAPAN「ART OF LIFE - 1993.12.31 TOKYO DOME」商品紹介ページ 市川哲史による解説 2010-08-10〕。 元々は「Say Anything」の第二章という位置づけであり、同曲終盤でのYOSHIKIの語りのあとに本作に繋がるという設定となっている。 「Say Anything」がアルバムの最後のトラックに収録されているのは、前記の通り「Jealousy」が本作と2枚組みでのリリースを念頭に置いていたためである。 再生時間が約30分という長編作であり、ロックをベースにクラシック音楽的要素、ピアノ・ソロなどで構成されている。歌詞は全て英語であり、YOSHIKIの半生をモチーフとした内容となっている。ジャケット・カバーで使われている頭部X線写真もYOSHIKI自身のものである。 初動売上で30万枚以上、最終的な累計売上は60万枚を超えるヒット作となった。なお、日本における正式な収録曲が1曲のみのCDアルバム(音楽作品)の売上としては歴代1位である。 == 制作 == 1989年11月22日の「Rose & Blood Tour」渋谷公会堂公演の直後に過労性神経循環無力症で倒れたYOSHIKIが、その静養中にサビの部分を作曲し、「Rose & Blood Tour」終了後の1990年6月の作曲合宿中に打ち込みとピアノ・ソロ部分の生ピアノによる楽曲全体のデモ・テープを完成させた。当初付けられていたタイトルは「LIFE OF ART」であった。サビを作曲した段階ではバラードを想定していたが、作曲の過程で組曲となった。YOSHIKIが全パートの主旋律を共同プロデューサーの津田直士に聴かせたところ、それぞれの主旋律ごとに分割して個別の曲にする提案を受けたとインタビューで語っている。しかし、これについて津田はニコニコ生放送で否定している。 自らの生涯を描くにあたって、小学校2年で初めて買ったレコードであるシューベルトの交響曲第8番ロ短調「未完成」をとり入れることが構想段階でまとまっていた〔徹底検証:ピアニストYOSHIKI『月刊ギグス』(1997年2月号)シンコーミュージック・エンタテイメント〕。そのため、「未完成」のフレーズが曲中に多く使われている〔。 1990年11月24日にアルバム『Jealousy』のレコーディングで渡米したが、同年12月3日にYOSHIKIが首の骨の異常からくる激痛に襲われたため「ART OF LIFE」を含めたドラムのレコーディングはすべて首にギプスを装着した状態で行われた。「ART OF LIFE」のドラムのレコーディングは1991年2月に3日間かけて行われた。その後『Jealousy』の締め切りが前倒しとなったため、『Jealousy』への収録が見送られた「ART OF LIFE」の制作はドラム・トラックのレコーディングだけを終えたまま、1年半後の1992年9月まで中断となった。 冒頭のピアノ・パートはYOSHIKIがギターのレコーディング中にピアノのフレーズが頭に浮かんだため、急遽そのスタジオの隅にあった、埃を被り、微妙にチューニングが狂った古いスタインウェイで弾いたものを仮テイクとして録ったものが使われている。その後、同じフレーズを正式にチューニングが整ったピアノで収録する予定であったが、仮テイクのものにリバーブを深くかけたところデチューン具合が良好であったため、そのまま採用された。また中盤のインプロビゼーションによるピアノ・ソロも、デモ・テープ用に日本でレコーディングした最初のテイクをそのまま採用している。 ソロ・ギターはHIDE、リズム・ギターはPATAが担当した。ソロ・ギターのフレーズはHIDEが作ったものをYOSHIKIが譜面に起こし、オーケストラと絡める構成にした。リズム・ギターのレコーディングは1992年9月から約1週間に渡ってエンタープライズ・スタジオで行われ、エンジニアはスタン片山が担当した。ツイン・ギターのフレーズはYOSHIKIが作り、両パートともHIDEが弾いている。HIDEは初めてレコーディングでサスティナー搭載ギターを使用した〔『ロッキンf』(2000年11月号)立東社〕。 Toshlは1992年9月-10月の2ヶ月間に渡って仮歌を録り、本番テイクのヴォーカル・レコーディングには1992年の11月から1993年の6月までの8ヶ月を費やした。 オーケストラ・パートは1992年10月に56名のロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団がロンドンのアビー・ロード・スタジオで演奏した。これまでオーケストラの収録はリハーサルなしで行っていたが、「ART OF LIFE」のアレンジは複雑であったため、2日間のリハーサル期間を設けている。 1993年7月7日のトラック・ダウン終了時にはYOSHIKIとToshlは感激のあまり号泣して抱き合い、その打ち上げではメンバー全員でYOSHIKIが所有するスタジオを破壊した。このことはスタジオのあるロサンゼルスでの一部タブロイド紙の地方版にも掲載されるなど、アメリカ音楽業界で話題になった。 マスタリングはニューヨークで行われたが、レコード会社への納品直前になってノイズが入っていることと、中音域のイコライジングに問題があることが判明したため、ロサンゼルスで急遽その晩にマスタリングがやり直された。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ART OF LIFE」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Art of Life 」があります。 スポンサード リンク
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